アナログゲームを好きな人と、嫌いな人がいる。
小さいころからゲームに親しんでいて、ゲームがとにかく大好きな人がいれば、
小さいころからゲームをしていたけれど、結果的に今ゲームを大嫌いな人もいる。
私の妹は後者にあたる。
うちの妹の話。
わがやは親戚の集まる家で、イベントがあると昼間からゲーム三昧であった。小さい頃は人生ゲームや花札やトランプ、大人は麻雀などで騒いでいた。
はじめはみんなで参加していたが、妹は、いつのまにかゲームが始まる雰囲気になるとどこかへ行ってしまうようになった。周囲は、「変わっているね」「面白いのにバカだね」などと揶揄した。
妹の人生からおそらくすっかりゲームが姿を消した後、最近になって姉がにわかにボードゲームについて騒いでいる。遊ぼうとうるさい。
そんな姉に対し、彼女はこういった。
「考えなくてよくて、誰も傷つかないゲームしたい」
・・・いや、それはつまりゲーム自体したくないんじゃないのか。
ゲームは「考える」のが面白いのに。
そして思った。ああ、この子にとってのアナログゲームとは、=相手を傷つける攻撃的なもの なのだ。そんな経験をしていたのだ。
聞いてみたら、
小さい頃、花札などで役を作ったり連勝したりしていると、周りがやんややんや騒ぐのがいやだった。
親族は、ゲーム好きや負けず嫌いで活発な人が多かったから、容赦なくうるさいし、お互いのプレイは邪魔する。いわゆるヘイトの飛び交う場である。
ゲームとしてはもちろんアリなのだが、それが面白いゲームもあるのだが、彼女にとってはそれは攻撃的すぎて、そういう場を避けるようになったらしいのだ。
そしてゲーム全般は、嫌な思い出と結びついてしまい、嫌いなものとして彼女の中にずっと残っていたようだ。
しかし……いや全く余計なお世話だが、
もったいないじゃないか……
私はボードゲームが大好きだ。妹のことも好きである。そして妹は私のことが好きだ。
ならばボードゲームが面白いのに決まっている。
事実、今はわれわれが小さい頃は見たことのないような、色とりどり種類とりどりのボードゲームがここにある。戦略や妨害だけじゃない、花札だけじゃない、協力ゲームや感性のゲームがあるのに。ミープル組体操とかできるのに。
……私は試されている。
「考えなくてよくて、誰も傷つかないゲーム」。
探そうじゃないか。
ボードゲーム嫌いの妹よ、「えー結構面白いね」と言ってもらおうじゃないか。
そして2016年9月某日。
実家に用事があったので、ついでにボードゲームを6つくらい持参した。
いやむしろボードゲームをしたいから、用事をこさえたといってもよい。
妹と遊んでみたいゲームがあった。
それは感性のゲーム、
「ディクシット」である。
(後編へつづく)